フリーターのぼうけん

さいきょうの フリーターを めざして。 きじを ひとつ かくと レベルが ひとつ あがる。

ぼくの ポケットにも めいげんを

 

 

言葉を友人に持ちたいと思うことがある。それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だということに気がついた時にである。 (寺山修司「ポケットに名言を」)

 

僕には友人がいる。多すぎも少なすぎもせず、それぞれに気のいい奴らだ。しかしふと、友人と自分との関係がひどく希薄なものに思えることがある。そんな時に漠然と感じていた物寂しさを埋めるものは、言葉なのかもしれない。

 

これまでのそう短くない人生の中、僕はいろいろな言葉に出会ってきた。本も映画も、人並み以上には触れてきたつもりだ。その中には、僕の心をぐらりと揺さぶるものもあった。

 

今僕は人生の岐路にいる気がする。これまでの人生とこれからの人生でなんとなく色や味や匂いが変わるような。今僕はたった一人である。これからの人生の真の友は言葉なのかもしれない。

 

俺たちがあの有名な、暇で行き場のない若者だ。だから、うろうろするもんなんだよ。(伊坂幸太郎「レトリーバー」)

 

思いついたらすぐに行動する男・陣内が、駅の階段で2時間もヘッドホンで音楽を聴いていた男に何をしていたのかと詰めより、おまえこそ怪しいと言われたときのセリフ。

 

別になんてことないシーンで出てきた、なんてことない言葉。

 

その目には新しい光が浮かんでいた。彼自身にも見覚えのない光だった。孤独で行き場を持たない、限定された場所で完結することを求められている光だ。(村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」)

 

多崎はある日突然古くからの友人たちと関係を断たれ、絶望から死を求めるようになった。そんな時に彼はある夢を見る。そこにあったのは強い嫉妬であった。それをきっかけに多崎は健康的な運動と食事を再開し心身がある程度回復したものの、鏡に映った自分の姿は以前のそれとはまったく違うものであった。

 

限定された場所で完結することとは、ひたすら自分ひとりで思索にふけり人生の諸課題を解決していくことで孤独に生き抜いていくことかもしれない。

 

どんなに穏やかに整合的に見える人生にも、どこかで必ず大きな破綻の時期があるようです。狂うための時期、と言ってもいいかもしれません。人間にはきっとそういう節目みたいなものが必要なのでしょう。(同上)

 

灰田が、父の放浪時代の話を語りながら言う。

 

なんとなく思いながらも長らく言語化できなかったが、こういうことなのか。今の自分は狂うための時期か。これを超えたときに人生や精神や考え方が安定し、いろんなことに折り合いをつけて生きていくようになるのかもしれない。(それが良いか悪いかは全く別の話だが。)思い切り狂いきるのもよいかもしれないと思った言葉。

 

携帯ってのは便利だから不便だ。(同上)

 

よく言われる話だ。人類は便利さを求めるあまり代わりの何かを失っている。

 

私は今日まで生きてみました そして今私は思っています 明日からもこうして生きていくだろうと (吉田拓郎「今日までそして明日から」)

 

いろいろあるけど、いろいろあるのに、いろいろあるからこそ、今日も明日も人生を繰り返すのみ。

 

 今日から君はただの女 今日から僕はただの男 (チューリップ「青春の影」)

 

男女の関係を歌った歌詞でこれほどはっとさせられたことはない。

 

恋愛経験は決して豊富ではない僕だが、いつかこの歌詞をすっかり理解する日が来るのだろうか。そのとき僕はどんな気持ちになるのだろうか。